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お知らせ 文化コミュニケーション学科

【現代文化学部】教員の研究紹介・山本歩講師

九州に来てから興味を惹かれ研究しているのは、長崎出身の作家「大泉黒石(おおいずみ こくせき)」です。

本名は大泉清、しばしばロシア風に「キヨスキー」「コクセキー」とも称していました。ロシア人領事の父と日本人の母との間に生まれた黒石は、日本・中国・ロシアやヨーロッパを彷徨した数奇な半生を記した『俺の自叙伝』(1919年)で一躍有名になりました。

黒石の自叙伝シリーズは話題を呼びましたが、波乱万丈なその内容を疑う人々もありました。黒石は次第に文壇からつまはじきにされていきます。ミックス・ルーツの黒石に向けられる差別・偏見の視線も少なからずあったようです。

そんな中で黒石は、虚実入り混じる自伝や読物を通して、既存のリアリズムやメディアの慣習を嘲弄するような表現を続けます。加えて、ベストセラー『老子』(1922年)などの虚無主義や無政府主義の作品、東西のオカルト知識にもとづく怪奇小説、そして故郷である長崎の歴史に材を取った著作など、多彩な文業をのこしています。

さらに、日活の脚本部に入り、溝口健二(後に日本を代表する映画監督になります)と組んで撮影した前衛的な映画『血と霊』(1923年)などは、近年注目されている業績と言えるでしょう。

黒石という作家の魅力を挙げれば、まずは変幻自在の文体――「語り」の饒舌さでしょう。あえて悪い言い方をすれば「しち面倒な語り口」で、無駄口や言葉遊びの多いその文章は、はっきり言って読みにくいです。例えば、話が脱線して挿話が始まったり、物語の本筋がわからなくなったりします。書きたいことを抑制し、書くべきことを過不足なく書く、そういう苦心も作家には必要なはずですが、いかんせん黒石は自身の「駄弁」をコントロールすることをあきらめています。ただそれが、慣れてくると妙に味わい深い。

自伝なのか小説なのかもわからない怪作『人間廃業』では、次のようにとぼけて見せています。

……以上のとおり長々便々と伸びちまってるんだから、こんなはずではなかったんだがと、俺も少々驚く始末だ。手際よく物を書こうというのが商売の文士の癖に、それじゃ余り知恵がなさすぎる、と言う人があるだろう? 知恵があるくらいなら文士になるものか。(『人間廃業』)

それから、物語の本題そのものも、かなり突飛な展開を見せることもあります。先の展開を予想することすらバカバカしくなる天衣無縫・天真爛漫な筋運びの前に、読者はしばしば置いてけぼりを食らわせられます。ですが、読んで立ちどころに理解できる、そんな鑑賞ばかりが文学の楽しみではありません。作品に翻弄され、言葉の迷宮をさまよう苦楽の中に、文学の体験というものがある気がします。

黒石の履歴は不明瞭で、調査の余地が大いにあります。発表作品もすべてが判明しているわけではありません。こつこつと資料を集め、入手困難な古雑誌などを思って嘆息する、そんな日々です。しかし研究の進んでいない作家だけに、常に新しい発見があります。

彼の自伝がどこまで事実なのか、それも確かめてみたいと思います。いつか、海外も含め、彼が過ごした地をめぐってみたいと思います。

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